元祖長浜屋(家)考

地元の方からは、「よそん者が偉そうに!」と突っ込まれそうだが(汗)、今回の帰省で訪問した際「なるほどなぁ」と思うところがあった。
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「二郎はラーメンではなく、二郎という食べ物」
という、ラーメン二郎を表現する格言がある。

単にスープ+中華麺でカテゴライズするならば、ラーメンの域に留まるのだが、

○「ワシワシ食べる」といった表現が適当な個性の強い麺
○脂の層が厚いオイリーなスープ
○チャーシューとは言えない厚さの豚
○トッピングの際の呪文(ヤサイマシマシニンニクカラメ)
○異常なほどの行列
○ジロリアン(二郎中毒者)の出現
○味のブレは当たり前

と、枚挙にいとまがないのだが、これらをひっくるめてラーメンという物を超えた二郎という食べ物と表現されている。

なぜ二郎の話をしたかというと、この元祖長浜屋(家)も、ある意味この格言に通じるのではなかろうかと考えるからである。

ラーメン(ベタカタ+ネギ)
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かつて、元祖長浜屋が提供するラーメンは、長浜地区で働く市場関係者の腹を満たすための食事であって、深夜・早朝に短時間で麺を茹で、入店後即刻提供出来るようにするために作られたラーメンだった。
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現在は観光地化してしまっているところがあるが、店側としては今も昔も変わらないスタイル(スピード、値段)を継承しようと努力しているのをうかがい知ることができる。
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筆者も旧本店の時代から5度ほど食べているが、味については2勝2敗1引き分けという戦歴。デキの良い上物に当たった時には全身で歓喜に浸ることができるが、机にひれ伏したくなるぐらいに出汁が取れていない時もある。これは、家で作る味噌汁が薄かったり濃かったりすることがあるように、味が足りない場合は卓上に用意されているタレを追加したりして補正をするのがここでの食べ方である(無論、ベースは変わらないので気分的な味の変化程度だが)

観光で一度訪し、「この店の評価が信じられない」とか、「再訪はない」といったコメントを残している人もいる。残念だったねと察するところだが、上述したように、ここは第一義的には腹を満たすための食事処であることを食べ手としては含まなくてはならない。よって、観光ではるばるやってきて食べるには、大変リスクの大きい店なのである。普遍的な美味さを求めるのであれば、博多地区の有名店に行った方が確実である。

「長浜ラーメンはラーメンではなく、食事である」
常々、美味いものを供するのが店の然るべき姿だとは考えている。もちろん、元祖長浜屋(家)におかれても、美味い一杯を供するよう日々作られているとは思う。結果的にそうでないこともあるが、この店の成り立ちを鑑みたとき、それが許されてしまう稀有なお店だと考えるのである。


元祖長浜ラーメンのお家騒動顛末は、こちらの方のブログに詳しく載っています。

この記事へのコメント

ひろえす。
2011年08月19日 17:52
僕は長浜ラーメンはこのお店だけだと思ってます(笑)
それ以外は長浜風、ということで。個人の勝手な思い込みですが。

味のブレはあります。

おいしい時に行ったら、もう一回食べに行きたいと思い。

ハズレに当たったらもう一回食べにいってリベンジしたいと思う。

ラーメン、というよりもソウルフードです。
きんたろう
2011年08月20日 03:08
☆ひろえす。さん☆

>それ以外は長浜風、ということで。個人の勝手な思い込みですが。
今回、ようやくその気持ちを理解できたような気がしました。
あれが長浜ラーメンであり、「アレンジのしようがない」んですよね。
アレを1mmでも変えちゃったら「風」になってしまう。いわば強いアイデンティティをもったラーメンと言えると思います。

私も年に1度食べられるかどうかですが、またチャレンジして、一喜一憂したいです(笑)

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